影踏みアリア 1
<ご注意ください!!> この小説は大学生パラレルです。阿部と三橋に彼女がいます(オリキャラ)。ゲンミツにアベミハ展開ですが、『彼女がいる前提の二人』に挑戦しているので、苦手な方は絶対にお避けください。 視点がどうも、一点に動く。話している相手にすぐ戻すのだが、気付くとその背後の鏡に動く。 それを何度も繰り返して、ようやく阿部はそこに何かが映っていることに気が付いた。 起き抜けのようなくせ毛、細い首、だらしない猫背。よくよく見れば見覚えのあり過ぎるその後ろ姿に、阿部は口を僅かに開いたまま硬直した。三年前の高校の卒業式まで、構って構って構い倒したバッテリーの相方が、そこにいた。 「阿部君?」 向かいに座って紅茶のカップを手にした優子が、阿部を覗き込んだ。首を傾げると、ボブの髪がさらさらと頬に落ちる。デート中のカフェで、彼氏が自分の背にした鏡張りの壁ばかり見て口を開けていたとしたら、女は疑問にも思うだろう。阿部ははっとして優子に視線を戻すと、慌てて「や、悪い」と口の中で言った。 「ごめんな、知り合いがいたんだよ。今気付いた」 「えーほんと?いいの、声かけなくて?」 「いいか?」 「いいよ、もちろん」 阿部はそういうところが律儀で、デート中携帯を触ることもほとんど無いほどだ。短くカットした髪も瞳も真っ黒で、優子はそれを誠実で真面目な性格が表れているようだと思っていた。優子が頷いた時、二人の間の小さいテーブルに影が差した。 「あ、あ、…べ、くんっ!?」 阿部と優子は、同時に顔を上げた。阿部の背後に立っていたのは、やたらと大きな目を見開いて革のブリーフケースを曲がるほど抱き締めている学生風の青年だった。阿部が声をかける前に向こうが気付いたらしい。優子は阿部の表情を見遣った。阿部は目元を少し細め、緊張したように頬をこわばらせて、その男を見上げていた。 「おう。久しぶり、三橋」 ―――すっげ久しぶりじゃん、マジで。 去年の、同窓会、ぶり、だからっ、一年。 あ、一年か。一年短いようでなげーな。でも同窓会も飲み会で最後ぐだぐだであんましゃべんなかったよな。 …う、ん。今年は…、 あー、今年もやんじゃねえの。 やり、たい! おー。おまえ元気にしてんの、最近。 う、ん!風邪、ひいてないし、ケガも。体重、も、減って、ない! そっか。頑張ってんな。 そう言われて三橋が妙に頬と口元の緩んだ笑みを浮かべたところで、思い出したように阿部が優子を振り返った。 「あ。わりい、こいつ、三橋廉。高校の時の」 なんとか、と呟いたが、その阿部の言葉は優子にはよく聞き取れなかった。とにかく同窓生なのだろう。優子は軽く会釈して微笑んだ。 「こっちは、ええと、…大学の友達ってか、…牧田優子さん」 ぎこちない紹介だが、三橋は柔らかく微笑んだ。雰囲気で何となく悟ったらしく、ぺこりと優子に頭を下げる。体格もしっかりとしているし服装も普通なのだが、どこか子供のような無邪気さと年相応の穏やかさがあって、優子もつい笑顔になった。言葉なくふたりでにこにことしていると、阿部が気まずそうにおい、と声をかけた。 「おまえ、一人?」 三橋はびくっと肩を揺らして、あ、と呟いた。そろそろと振り返るので、つい阿部と優子も一緒になって三橋の視線を追ってしまう。その先には、前に三橋が着いていたらしいテーブルの向かいに腰かけた脚の長い女がいた。 「あ、廉。話終わった?」 長い黒髪にきつめの目鼻立ちの、やや派手な印象を与える女だ。化粧と服装のせいもあるだろう。スタイルがよくて、その見せ方をよく知っている。二人で書類を読んでいたのか、テーブルにはプリントや筆記用具が散らばっていた。 「う、ん」 「帰ろうよ。眠くなっちゃった」 「ん」 鞄を掴んで帰り支度を始めた女を見て、ぼんやりしていた阿部ははっとして三橋を見上げた。 「っておまえ、あの人彼女かよ」 「…うう…う、ん、多分…?」 一瞬で火が出そうなほど顔を赤らめた三橋は、視線をうろうろ泳がせながら頷いた。猫背がひどくなり、テーブルにかがみ込むようにして手をつく。 「多分て」 「亜紀さん、坂上、亜紀さん」 三橋が阿部に彼女を紹介されたことを思い出したのか、慌てて唐突に彼女のフルネームを発したところで本人に腕をぐいっと引かれてタイムアウトになった。 「どうもー。廉、行こ」 小さく頭を下げた亜紀は阿部を一瞥すると、すぐ出口へと歩き始めた。 「ま、またね、」 何度か名残惜しそうに振り返りながら、三橋は扉の向こうに消えていった。 「やー。ビビった」 まだ扉に目を遣りながら、阿部は息をついた。 「あの人?」 「うん。ああいうタイプの彼女がいると思わなかったな」 「美人だったねえ、モデルさんみたい。憧れるなあ」 「…や、オレは…」 俯いて何やらごそごそ言う阿部に、優子はくすくす笑った。 「ありがと」 そこで優子は、あれ、と呟いて阿部を見上げた。 「阿部君、ペン使った?」 「え?」 「これ」 優子がテーブルから持ち上げた明るいブルーのボールペンを見て、阿部は首をひねった。 「いや、オレんじゃない。元からあったっけ?」 「ううん、そんなことないと…あ」 「あ…」 阿部の顔が一瞬、苦いものでもなめたようにしかめられた。 「三橋だな。あいつ、本当にぼーっとしてっから」 変わんねえな、と呟いて、自然に優子からペンを受け取ると、阿部は顔の前でペンを横にして眺めた。つるりとした軸が、光を映してぴかりと光った。 その夜、バイトのある優子と別れて一人暮らしのアパートに帰った阿部は、荷物を下ろした瞬間に背骨まで崩れるような感覚に陥って、玄関先でずるずると座り込んだ。 原因は分かっていた。三橋だった。卒業してから一切のプライベートに触れないよう注意深く避け続けてきた、三橋だった。避けていたこと自体が無意識にであったことを自覚して、阿部は打ちのめされていた。 阿部は高校を卒業して、大学ではずっと関心のあった工学系の学部に進学した。持ち前の集中力と要領の良さで第一志望だった評価の高い大学に合格して、阿部は学業をまず優先することを決めた。希望の研究室は人気が高くて、部活をやりながらそこに進めるだけの成績を維持することは難しそうだった。ただでさえ都会の一人暮らしでアルバイトの必要があるのに、これ以上勉強時間を減らすわけにはいかず、迷った末に阿部は野球をやめた。同好会で好きな時間に適当に、なんて性に合わない。すっぱりやめて、目標に専念することを決心した。 その時から、どこかで野球部の部員たちと距離を取るようになっていた。いや、正確には、まだ野球を続けている一期生たちと、だった。同じように学業優先で野球をやめて、一浪した後国立大学に進んだ花井とは、今も頻繁に連絡を取り合っている。花井もどこかで同じ心境だったのかもしれない。ただ、花井は初代主将という立場から何かとまとめ役をしたり後輩の面倒を見たりしていたが、阿部はそこまでの役割を担ってもいなかった。 阿部は忘れることができない。三橋と一緒に推薦のあった大学を蹴る、大学では野球をやらないと告げた時の、三橋の表情を。 |